大 阪 市 総 合 博 物 館
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デザイン史「三五七」
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 西欧の近代デザインは20世紀に入る1900年年前後から始まって、ポストモダニズムが台頭する以前の1950〜60年代までのデザインを支配した傾向とは19世紀の装飾美術を否定することから出発したものである。西欧のモダニズムは大きく3段階を通して発展してきた。
1)1900年代の初め〜1930年代:理想的モダニズム ドイツ/バウハウス・スタイル
2)1940年代〜1950年代:有機的モダニズム アメリカ/流線型スタイル
3)1950年代〜1960年代:国際的モダニズム スイス/インターナショナル・タイポグラフィースタイル
 上記とほぼ同じ時期に、これに対応して韓国でも次の3段階のモダニズムが受容されてきた。
 子供の頃から美術の資質が見えたイ・サンは、17才の時京城高等学校建築科に入学したが、美術にも才能を発揮しつつあった。以後10年間回覧誌「難破船」の編集に参加、同誌に挿し絵と詩を発表した。1929年3月卒業後、朝鮮総督府内務局建築課技手を勤めながら、彼は「朝鮮と建築」誌の表紙図案懸賞募集(1930年)に応募し1等と3等に当選した。二年後にも同懸賞募集で第4席に当選、まだ貧困な状況であった韓国デザイン界にモダンなデザインを提示した。イ・サンは詩人ながらも、実際のデザイン分野でも頭角を現わしていたのである。
 日本占領当時の朝鮮総督府には体系的にデザイン教育を受けた人材が多く、水準の高い印刷物などが大量に備えられていた。そのような環境の中で、彼の感受性がある特定のデザインを受け入れていったものと推測される。何回も表紙公募に当選したイ・サンは洗練された西欧風なデザイン感覚を披露することで、本人も知らぬ間に韓国デザイン史の一ページに参画していたのである。

 6.25動乱米国務省所管国際協力所(ICA)の開発国サポートプログラムによって設立された韓国工芸示範所は、アメリカの著名なデザイン会社の支援プログラムを通じて、韓国デザインの水準を高める活動を展開した。活動のなかで特に意味ある活動は有能なデザイナーを選抜してアメリカ留学に送る制度を実施したことである。毎年2名ずつ選抜され、‘デザイン教授要員海外研修プログラム'によって初年の1958年にはミン・チォルホン、キム・チョンス、1959年にはコン・スヒョン、ベ・マンシ、1960年にはイ・ジョンフン、キム・イッヨンなどがアメリカ留学の機会を持つことができた。
 彼らは帰国後に大学教授に就任した。ミン・チォルホンソウル大学教授(イリノイ工科大学でインダストリアル・デザイン専攻)、コン・スヒョンソウル大学教授(クリーブランド美術大学でグラフィックとインダストリアル・デザイン専攻、副専攻陶磁デザイン)、ベ・マンシ梨花女大学教授(フィラデルフィア美術大学でファブリック・デザイン専攻)などである。
 特にミン・チォルホンはイリノイ工科大学で受講した近代デザインの内容を、ソウル大学教授として教育課程を通じて後進に伝えることで韓国内に移植した。ミン・チォルホンのイリノイ工科大学留学に対する意義は、それ以前には間接的な経路を通じてしか入ってこなかった近代デザインを、直接アメリカに留学して習得し、大学教育を通して後進を育成することで引き継いだということである。バウハウスから出発した近代デザインの水脈は、モホリ=ナギがシカゴに設立したニューバウハウスを経てイリノイ工科大学に繋がり、留学したミン・チォルホンによって韓国内に流入したのである。

 イ・サンチォルは韓国ではじめてグリッド・システムを雑誌編集デザインに取り入れて、体系的なデザインを押し進めたデザイナーであった。スイスで始まったグリッドを利用したこのデザイン・システムは、合理的で正確なデザイン手法であったため全世界に急速に普及した。60年代には各国で取り入れられ、大部分のデザイン分野で適用された。日本でも東京オリンピックのデザインワークに積極的に活用され、これにより日本のデザイン水準は急激に高くなったという評価を受けることになった。韓国ではこれより約10年遅れてグリッド・システムを使ったデザインが定着した。1976年に創刊された文化教養誌「根深い木(プリギブウンナム)」の編集デザインにイ・サンチォルが初めて取り入れたのである。それ以前には活版印刷に使ったフレームに嵌め込んだ文選型に限定されていたが、この雑誌のアート・ディレクションでは、合理的かつ体系的でありその一方で有機的に変化が可能なグリッド・システムを使うことで、独特のフォーマットとしなやかなレイアウトを実現した。以後雑誌毎にグリッド・システムを利用した編集デザインが一般化していった。さらに、広くほかのデザイン分野でもグリッド・システムの活用が進められた。

→イ・サンチョルによるグリッド・システムを導入した雑誌


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