大 阪 市 総 合 博 物 館
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歴史及び発展過程


「国民車ポニー」70年代当時,輸出に大きく貢献した。


「アイミー」韓国最初のキャンペーンキャラクター

 70年代中盤以後高度成長を続けた韓国の社会は、徐々に物質的な豊かさを享受するようになった。これにともないデザインに対する社会的要求は増大し、デザインは細分化、専門化されて社会全体に普及していった。1976年には文化教養誌「根深い木」と月刊「デザイン」が創刊され、デザイン界に大きい転換をもたらした。「根深い木」は国内ではじめてでグリッドシステムを採用した編集デザインでデザインの体系化と合理化に大きく寄与したし、「デザイン」はデザイン情報の体系的な収集と発信そしてデザインの大衆化に大きな貢献をした。
 同じ年、現代自動車は国民車"ポニー"の生産を開始したし、金星社は企業では初のデザイン研究所を設立した。製品デザインの重要性が企業のあいだでもはっきりと認識され始めたのである。学界でもデザインの学術的研究を效率化するためにデザイン学会が創立されるに至った。
 一方70年代中頃からOBビール,双竜グループ,コーロンググループなどをはじめ各種企業のあいだで、CI導入ブームが起こった。また1979年開催された韓国イメージ展は、韓国的ヴィジュアル素材の貧困に苦しむ時代に一つの脱出口を提示し、以後グラフィーコリア展(1980)、韓国の美ポスター展(1981)、韓国の顔展(1982)といった同種の展覧会が続々と開催された。特にこの時期の重要なイベントである1986年のアジア大会とそれに続くソウルオリンピック(1988)の開催時には、シンボルマーク、エンブレム、マスコット、ロゴタイプ、ピクトグラム、ポスターをはじめ各種分野で多くのデザイナーが活躍した。


左:文化教養誌「根深い木(プリギブウンナム)」国内最初でグリッドシステムを採用した雑誌(1976年)
中左:月刊「デザイン」国内最高のデザイン専門誌(1976年)
中右・右:オリンピック韓国的デザインアイデンティティーがよく表現されたソウルオリンピック(1988年)

「GREEN DESIGN」1990年代初からおこり始めた環境を思うグリーンデザイン(1992)


「大田EXPO」国内最初に開催されたエキスポである大田エキスポ(1993)


「VIDAK」国内最大のグラフィックデザイン団体である韓国視覚情報デザイン協会(1994年)

 オリンピック以後、韓国デザインは本格的に国際的な流れに歩調をあわせはじめた。情報時代到来で通信及びオフィスオートメーション器機の需要が増大し、視覚媒体を通じた情報の伝逹も量的及び質的に大きく変化した。またグリーンデザイン(green design)の時代ともいわれ、韓国人の情緒を考慮した韓国型商品が開発された。
 1993年には大田EXPOが開催され、それをきっかけに国の商工資源部では「デザインの日」を制定した。放送局でも1994年初頭からMBCの「どうしてデザインなのか」、 KBSの「世界が走っている」という特別企画番組を通じて、一般国民にデザインの效用性に対して関心を増幅させた。
 デザイナーたちもこのような積極的な雰囲気のなかで韓国のデザインをさらに発展させるために、韓国デザイン学会の再創立と社団法人韓国視覚情報デザイン協会を新たに設立して持続的な発展のための努力をした。
 この時期にはコンピュータグラフィックを駆使した映画とアニメーションが製作されて、新しい映像デザインの時代が始まったといえよう。またこれまでの手作業にだけ頼り切った方式から、コンピュータの普及で電算化が急速に成り立ち、「X世代」登場とファニーデザイン(funny design)の概念が普及した。


「韓国デザインセンター」韓国デザインのメッカ・ソンナム市(2001年)


「ICOGRADA」国内ではじめて開催された大規模国際デザイン大会であるICOGRADA(2000年)



「マシマロ」2001年2月インターネット上に現れて大人気をえた。

 1990年代後半から始まった市場開放で、2000年代に入ると経済及び文化の競争がいっそう激しくなってきた。このような状況で文化が価値を発揮して芸術が高付加価値を持つ時代に、デザイン分野の発展なくしては自動車、電子、映像、キャラクター産業などどんな産業も発展しにくくなっている。
 その上に情報通信システムの革新が起こした活発なコミュニケーションの流れは、消費者たちが他の地域の消費動向を即時に知り、地球の反対側の他人が所有したのと同じものを所有したいという欲求をもたせることになった。したがってマーケティング戦略は、多様な消費者たちの特性にもっと焦点を合わせなければならなくなった。思考と競争のグローバル化した状況ではどんな普遍的あるいは絶対的な文化というものはないので、その地域の状況を共有する同質化戦略で貿易障壁を超えるしかない。
 特にサイバースペースが新しいコミュニケーション空間として成立し、「N世代」が登場した。彼らを新しい時代の主役として挙げることができる。彼らが主導するインターネット・サイバーショッピングモールやウェッブデザイン、インターネット広告など新しいデザインの世界が仮想空間で突然花開いた。
 韓国のデザイン界は2000年の世界グラフィック団体協議会ミレニウムソウル大会とその翌年の世界産業デザイン団体協議会総会、そして2002年の日韓ワールドカップまでの大規模な国際大会を成功させ、そのステイタスを高めた。韓国デザインは、世界のデザイン界と肩を並べる成熟期に入ったと評価してよい時期にきている。


「K-J WORLD CUP」世界の中で韓国人の底力を誇示した日韓ワールドカップ
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